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森田芳光監督死去

2011.12.23 1:39-up!

沢山アップしたいことがあったのに出来ないまま年末になってしまいましたが、そんな中「森田監督が亡くなった」というのをNYの滞在中に知りました。あまりにも急なことで驚いて頭が真っ白になりました。関係者との電話でそれが本当だと分かった後も、悲しみを通り越して信じられない!何のことを言っているのか分からない状態でした。夜中に何度も目が覚めて朝起きた時は胃も痛く更に強い悲しみが襲って来ました。いろんなことを思い出すからです。映画「失楽園」で初めてご一緒させていただいた時、スタッフ全員の前でデモテープを聴きながら監督が一言「全然、違う」とおっしゃったのです。その時の緊張は今でも忘れられません。その次の作品は映画「模倣犯」でした。NHKの番組に朝から夜8時頃まで出ずっぱりでボロボロになって帰る途中に留守電を聞いたら「デモテープを聴いてとても心配なので音楽の打ち合せを今からやりたい」と・・・夜9時過ぎから夜中の3時頃まで全曲の打ち合せをしました。打ち合せでは殆ど映像を見ながら即興で曲を作っていったので、それから後、即興で書いた曲を譜面にする作業はまるで地獄のような大変さでした。毎回仕事の依頼があってからダビングが終るまでは気持ちが休まることがないほど厳しい監督でした。スタッフや役者さんたちが撮影中とても仲のいい森田組の中でいつも自分だけは一人ぼっちのような気持ちでした。そんな私がやっと森田組の一員になれたんだなあと思えたのはここ2〜3年前からです。一番印象に残っているのは、ある作品の打ち合せでなかなか監督がOKを出してくれなかった時「俺はいい作品を作りたいだけなんだよ、大島、お前もそうだろう?」とおっしゃった言葉です。毎回とてもハードな仕事で正直途中で降りようと思ったこともありました。けれどもその言葉を聞いて「そうだなあ、いい作品を作るために自分は最善の努力をもっともっとしなければいけない」と思い、やっと監督を少しだけ理解出来たような気がしました。映画への情熱とこだわりを持った、やんちゃで暖かい、そしてシャイな方でもありました。厳しい監督でしたが思い出すのはあの軽快な声と優しい心使い言葉ばかりです。ダビング現場では私の席はいつも監督の隣でした。シャイな監督の隣で私も少し照れながら一緒に映画が完成して行くのを見守っていく時が一番楽しい時間でもありました。「失楽園」以降、「模倣犯」「阿修羅のごとく」「海猫」「サウスバウンド」「間宮兄弟」「椿三十朗」「わたし出すわ」「武士の家計簿」「僕達急行」と10作品をご一緒出来たことは本当に幸せでした。一年前の今頃、「僕達急行」の録音の後に監督とプロデューサーの三沢さんとほんの数人で久しぶりにご飯をしました。新宿の中華料理のお店です。「武士の家計簿」がヒットしている時でもありましたのでそのお祝いを兼ねてささやかな乾杯をしました。「これだけ作って久しぶりのヒットだなんて情けないよなあ、ダメだよなあ」と少し照れたようにでも嬉しそうにおっしゃっていたのを思い出します。その時に「次も宜しくな!」と言っていたのに・・・ここしばらくご無沙汰していましたが、きっと次回作の準備に入っていらっしゃるのだろうなあと思っていました。あの声が聞けないのは本当に寂しい・・・また少しずつ思い出すことを書きたいです。監督、暴露話も出るかもしれませんが許してくださいね!img_3192morita.jpgimg_0341morita-2.jpg

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